天草の小さな畑がある古民家

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おっぱい岩

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町の広報におっぱい岩の写真が掲載されていた。真冬日が続く中、昨日は良い天気だった。暇だし、ひとっ走り見に行ってきた。近くに行ったのは初めてだったが、自然が作った造形美と言ううか、乳首など、どうしてこうも見事に出来たのものかと驚いた。海岸の降り口に看板があったが、直径1,5mあり、雲仙岳の噴火の時に飛んできたと思われる岩で、歳月を経て今の形になったのだろうと、味もそっけも無い説明文が書いてあるだけ。おっぱいが可愛そうに思えた。

不思議なことだが「おっぱい岩の伝説」なる雑文を思いついた

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おっぱい岩伝説

昔むかしの事だからのう。わしが子供の頃ばあさまから聞いた話じゃけん、うろ覚えの所もあるが・・・。当年95歳の茂作じいさんが、前歯が2本だけ残った口を開け、笑いながら話してくれた。

 西河内の海を見下ろす所に、チヨと言う、。それはそれは綺麗なおなごがいた。近隣でも知らぬ者はいないくらいの、気立といい立姿と言い、たぐいまれな娘で、胸をときめかす男衆がわんさといた。ふとした縁で、隣村の伊助と相思相愛の仲になった。伊助も農家の次男坊で、性格の良い評判の若者だった。
 とある日に見回りに来た郡代の倅が、チヨを見初めてしまったのが不幸の始まり。屋敷に奉公に来るようしつこく迫ったとか。伊助との仲を知っている親たちが、早く身を固めさせた方が良いと、伊助との縁談を急ぎ、養子に迎えた。
 夫婦仲睦まじく、間もなく女の児にも恵まれ、タマと名付けて可愛がり、幸せな毎日だった。妻になり母になった娘は以前にも増して、匂い立つような女にになった。

ところがまだ諦め切れない郡代の倅は、家来に命じてチヨを屋敷にさらって来た。無体な行為を恨み、男を拒み続けたおチヨだったが、飲ませる事のないお乳はたまり、胸が痛んだ。人知れず絞り出して泣き泣き捨てた。おタマの事を思い気が狂いそうだった。お乳を欲しがって泣いているだろうおタマの事を。
 逃げ出す事も出来ず、操を守ることにも限度があり、絶望したチヨはある夜、
家の方角を向いて二人に別れを告げて、井戸に身を投じて死んだ。
     
 引き取ったチヨをを弔った日の夜から,ものすごい嵐が3日も続いた。風がうなり、海が吼え、小高い所の家まで届くかと思う大波が打ち寄せた。
 嵐が収まった朝、おタマを抱いて海を見下ろした伊助は我が眼を疑った。
下の海岸に、朝陽を浴びてつややかに光るおっぱいの形の岩が、さあお飲みと言いたげに、家の方を向いているではないか。これはおチヨのおっぱいだ、おかあが帰ってきたんだと、伊助は岩をなでながら親子で泣き崩れた。

 今はしわ一杯で、ごつごつしたばあさんのおっぱいみたいだが、当時は乳首から、 したたり落ちてきそうな、それはそれは見事なおっぱいだったとか。
 以来誰言うとなく、おチヨのおっぱい岩と称し、胸を大きくしたい人や、お乳が出ない人などが岩をなでれば、ご利益があるとか無いとかの噂。                                    

茂作じいさんは言う。何しろわしが子供の頃に聞いた話での、ばあさまも、そのばあさまから聞いたと言う、むかし昔の物語じゃ。

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熊本県天草郡苓北町坂瀬川 おっぱい岩