傘寿の誕生日
とうとう傘寿になった。あれよあれよの間の80歳だ。面白い世渡りだったとも思う。
親族会社が嫌になりだした時期に、おふくろが他界して、手綱が切れた。上の子が1年生下が3歳の子供3人を連れて、新天地の東京へ出たのが、36歳の時だった。以来26年間で、長いのは8年余、短いのは3か月で止めた会社もあった。10指以上の仕事をしたが、どれも一生懸命に頑張ったとは思う。
家内には相談もなしで全てが事後承諾だった。同じ会社に定年まで、何十年も勤める人を見ると家内はえらい人だと感心する。その事を言われれば、小生の胸がチクリと痛む。働き者で楽天家、切り盛り上手な女房がいたから現在の暮らしが出来たのかも。生涯頭が上がらないし、女房大明神と祭ってあげよう。
小生が63、家内が61の時に、散々止められたのを振り切って、さっさと生まれ故郷に帰って来た。築80年の古家だが、二人暮しには広すぎる。今ではテレビもエアコンも3台、生放流のシャワートイレだし、鍋を火にかけてからサンダルで野菜を取りに行っても間に合う菜園もある。車にバイクもあり、風呂は年間パス券を買い、毎日3時には車で4分の温泉に行く。帰ってから早めの夕食。夜は別々の部屋で好きな時間を過ごす。
文句を言ったら罰があたる。ただ体が気になるが、何か一つくらいは心配する所があった方がボケないだろう。食べるのがやっとの年金暮らしだが、穏やかな毎日に感謝。
寝る間も無いほど働かされる人、人間関係でノイローゼになる人など、さっさと止めて別の会社で働けばよい。止める決心さえ付けば心機一転、次の仕事で頑張れるはずだ。
でも今は時代が違うと言うだろう。なにせ沈没しそうな日本丸の上では、好き勝手なことは出来ない社会情勢だから・・・・。だが死ぬくらいなら何か打開策があると思うが、勝手な事を言うなと叱られそうだ。我々の若い時は選ばなければ何かしら仕事があった。 良い時代だったのか。今の働き盛りの人達が可愛そうだ。
聖書にも明日の事を思いわずらうなとある。
今日一日一日を楽しく、感謝して後○○歳までは生きて行こう